東北地方太平洋沖地震について

東北地方太平洋沖地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
一日も早く、地震や津波、原発に怯えずに過ごせる日々が来ますように…。


■地震が起こりましたとき、ひつじや二人はちょうど東京丸ビルの中におりました。7階で開催されていた展示会を勉強がてら拝見しようと、待ち合わせて会場入りした直後のことでした。
帰宅難民にはなったものの、すぐそばに気心の知れた相手がおりましたので、必要以上におびえることもなくなんとかやりすごすことができました。
震災後、JR復旧を待っている間の東京駅丸の内口付近は、とっても平静でした。大きな声を出す人もおらず、駅員さんに噛み付く人もなく。
パニックは伝染しますが、平静も伝染するんだな、って、そう思いました。日本人でよかった、とも思いました。
■従妹の夫が岩手県で自衛官をしております。震災直後から被災地入りして救助活動を行い、先日十日以上ぶりに一時帰宅したとのこと。ですが、一時間足らずで再度駐屯地へと戻ったそうです。
自衛隊の皆さんだけでなく、消防の方、警察の方、海外から救助活動のために来てくださっている方、ボランティアとして現地入りされている方、本当に頭がさがります。
まずは自分にできること、そして頑張っている人のバックアップとしてできることを模索しています。
■親類が宮古と気仙沼におります。
宮古へは母の兄が物資を届けにいったとのこと。店舗は1Fが水にのまれたものの、高台にあった自宅は大丈夫だったそうです。
ただ電気が復旧していないため、物資を届けにいったはずが「冷凍庫に入れてたのが駄目になってしまうから、全部持っていけ」と海産物(タコとかウニとかカニとか)を山ほど積んで帰ってきたとか。
気仙沼の家は、やはり住める状態ではないようです。今はもう亡き大叔父(祖父の弟)が、「チリ地震のときは津波で持っていかれてしまったから、今度は鉄筋で建てた!」と言っていたそうですが…。
どちらも無事であるという情報をゲットできたのは、googleさんのPerson Finderでした。
ネット社会のありがたさを感じるとともに、情報格差をどうしていったらよいものか、とも思います。

タイトルとURLをコピーしました